2006年 新卒(総合職)入社 ブライダル配属
3年目 ブライダルマネージャー就任
7年目 本社 Casting室 採用担当
8年目 他社ホテル 婚礼部門コンサルタント責任者として出向
10年目 ゼネラルマネージャー 就任
11年目 本社 ヒューマンリソースマネジメント室 ゼネラルマネージャー 就任
17年目 白馬開発責任者 就任
19年目 Plan・Do・See ALPS設立 代表取締役社長 就任
Plan・Do・Seeとの出会い、入社の決め手は?
僕は学生時代、ひたすらスキーに打ち込んでいました。大学の体育連盟に属するような推薦枠ではなく、とにかく「雪山に関わる」という体験を求めて、時間も情熱もスキーに費やしていたんです。
そんな中、ひょんなきっかけでPlan・Do・See(以下PDS)と出会いました。説明会や面接を経て感じたのは、この会社の空気感やセンス、そしてどこか愉快な雰囲気が、自分が愛する雪山の世界にあったら最高だろうなということ。
「いつかPDSで必ず素晴らしいスノーリゾートをつくる」――そんな夢を抱き、PDSに新卒で飛び込みました。

入社〜Plan・Do・See ALPS創立までの経緯を教えてください。
入社当初は「いつかPDSでスノーリゾートをつくる」と豪語していましたが、当時のPDSの事業ポートフォリオにはスノーの「ス」の字もなく、当然その道があるはずもありません。ブライダルから始まり、人事やコンサルなど様々な現場を経験し、気づけば「PDSの中心で出世していくのも悪くないな」と思いはじめ、雪山の夢は半ば消えかけていました。
そんな時、PDSの創業者である野田の代わりにカナダの世界有数のヘリスキーツアー「CMH」に参加する機会をいただきました。カルガリーから車で6時間、拠点となるロッジに世界中の富裕層が集まり、毎日ヘリで10本以上も滑る贅沢な日々。その夜のパーティで、世界中の人から「なぜ日本人のお前がここに来るんだ?白馬も北海道もあるだろ!」と口々に言われたんです。彼らにとって、日本の雪は世界一。降雪量、雪質、食事、文化、そして都市からのアクセス――すべてが奇跡的に揃った場所だと。そこで改めて「日本の雪山の可能性」に気づかされ、入社時の野心が強く蘇りました。
ちょうどその頃からPDSがニセコの一等地でのレストラン運営をすることになり、雪山に触れることと 情報がはいってくる頻度が高く濃くなってきました。
そうした流れの中で、「この土地を未来につながる場所にしてほしい」という想いを託され、PDSが白馬の地を取得させていただきました。

現在、どのようなお仕事をしていますか?
白馬で進行中のホテル開発を担当しています。
計画地は全部で5箇所。土地の取得から、ホテルのプランニング、PL(損益計画)の作成、資金調達まで幅広く携わっています。
プランニングにおいては、設計会社や社内のPMチーム、デザインチームと共にプロジェクトを進めています。さらに、オペレーションの観点を取り入れるために、ダイニングやホテル部門のメンバーにも定例ミーティングに参加してもらい、現場目線での議論を重ねています。
また資金調達では、国内外の投資家の方々にプレゼンテーションを行い、このプロジェクトの価値に共感し、賛同してもらえるよう尽力しています。
大切にしているのは、“知らないことを恥じずに聞くこと”。
多くの方に支えてもらいながら、チームで一歩ずつ前進しています。

白馬エリアの魅力、可能性を教えてください。
白馬はニセコや野沢温泉などと同様、日本の雪山を語る上で欠かせない最重要拠点です。降雪量、雪質、食事、大都市からのアクセス、そして土地に根づく文化――日本のスノーリゾートは、世界から見ても唯一無二の魅力を誇ります。
もちろん、レストラン不足や施設の老朽化といった課題はあります。しかしそれを乗り越えれば、白馬は「世界唯一のマウンテンリゾート」として進化できる場所。世界中のスキーヤーや旅行者、特に富裕層にとって「一度は訪れたい憧れの地」になるポテンシャルを秘めています。
これからのVISIONについて教えてください。
僕が構想するPlan・Do・See ALPSは、ただのホテルやレストランではありません。日本有数のマウンテンリゾート全体の価値を高め、地域や競合、協業する方々と共に成長し、世界からゲストを迎え入れる。その場で働く人が山とともに生き、誇りを持って働ける、そんな持続可能なリゾートをつくりたいと思っています。
まずは白馬から。そして、自分自身が「行きたい・滑りたい・登りたい」と心から思える場所で、日本、そして世界中のお客様を迎えられる事業を推進していきます。
