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鴨川のほとり、五条通りの北側に位置する、木屋町松原。繁華街からすこし離れているため、街中にありながら人通りの少ない場所だ。
1999年の夏。明治時代から京都の社交史に名を残し続けてきた料亭旅館「鮒鶴(フナツル)」は、重大な決断を迫られていた。年間売上は2億3000万円。老朽化の進む建物を維持していくには、かなり厳しい数字である。事業を立て直すには、数十年にわたる新しい事業計画が必要になる。しかし今の時代に果たしてそれが成り立つのか。建物を取り壊し更地にするという提案ばかりがオーナーのもとに集まっていた。
「京都とともに歴史を刻んできた建物を残すべきです。うちならできます」。偶然出会ったのは、神戸で同じように昭和初期の建物を活かしたままレストランを運営していたPlan・Do・Seeの野田豊加だ。昭和初期の手動式エレベーター、日本画の巨匠が描いた鯉の泳ぐ格天井。140年間そこにありつづけた価値は、お金をかけてもつくれないもの。野田の熱意に心を動かされたオーナーは、すべてを託す決意をした。そうして、野田の手によって鮒鶴はTHE RIVER ORIENTALへ生まれ変わっていった。
歴史を重ねてきたことによってできる色気に、現代の息吹を吹き込む。食事は京都の食材を一番おいしく食べてもらえるような、インターナショナルキュイジーヌ。そして、これまで京都にはなかったオリジナルウエディングを取り入れる。
コンセプトは「欧米人が憧れるオリエンタルリゾート」。すべて前例の無いものばかりだった。
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「京都で商売できるのは、京都人だけ。よそから来たって、長くは続かないだろう」「あんな人が集まらない場所で、レストランなんかうまく行くわけがない」
多くの人は、京都の厳しさを語った。京都には「一見さんお断り」など、他にはない独特の文化がある。川床(ゆか)も、そのひとつ。清流の上につくられた床座敷で涼を楽しみながらお食事をいただく、京都ならではの伝統的スタイル。しかしそこに訪れるのは観光客か特別なお客様だけ。京都の地元の人は滅多に訪れない。
THE RIVER ORIENTALはその川床を地元の人に愛されるレストランにするというコンセプトのもと、すべてテーブル席にしてメニューを一新した。これまでにない新しいチャレンジが必要だと考えたのだ。
「目の前のお客様ひとりひとりに向き合えば、できないことはない」。野田は確信していた。
そして、2000年5月。開店とともに、ハコのもの珍しさが受け、1ヶ月で約2000人もの集客があった。当時、東京の店舗でも1ヶ月2000人。「無理だ」と言われた京都で東京と同じ集客数を出したことは、自信へとつながっていく。「THE RIVER ORIENTALは成功した」。スタッフの誰もがそう思っていた。